AWAZU HOUSE ART CENTER
粟津潔邸

人間には「出会い」ということがあります。誰かと誰かが出会う事実によって、何か今までになかった世界がつくられます。お互いが未知なるものを秘めながら、必然的であろうと偶然であろうと、そこから新しい出来事が始まります。

粟津 潔

AWAZU HOUSE
二つの魂の出会いから

2022年、粟津潔邸=AWAZU HOUSEは再誕生しました。それは1972年完成当時の姿にほぼ戻されたのです。だれもいないアトリエに立つと、変化する光と影、音の動き、その美しいアウラに圧倒されます。

原広司と粟津潔は、1965年に出会いました。AWAZU HOUSEは、この二つの特別な魂と才能の共鳴により完成した若き原広司による傑作です。

粟津潔は2009年に亡くなるまで「グラフィズム 三部作」という代表作を含む無数の作品をこの家で制作してきました。それらの多くは、現在、金沢21世紀美術館のコレクションとなっています。1955年「海を返せ」でデビューした粟津潔は、グラフィックデザインという枠から飛び出し、あらゆる表現の分野に挑んできました。彼は、あえて自由という険しい荒野に挑んだのです。

世界には立派とされる建築が多くあります。しかし、たとえそれがどんな建物であっても、今そこで何が行われているかが問題です。つまりそれは、その場にどんな魂が宿っているかということに他なりません。

粟津潔は、異種交配から新たな芸術が生まれると信じていました。その言葉どおり、この粟津潔邸=AWAZU HOUSEには、文学者、音楽家、美術家と、多くの人が集い交差しました。それは結果、境界を取り除く行為でもありました。境界とは、芸術には無用であり、それは権威の現れで、何よりも保守です。原広司もそれを知っていたのではないでしょうか。その意識がこの家の設計に反映されていると思います。

2024年。あれから52年という時間が経過しました。今、私たちは劇的に変化する凄まじい世界に生きています。芸術に何ができるか、それが問われています。この時代の魂を表現できる場所。その時間を参加者と共有できる場所。AWAZU HOUSEが、あらゆる人々に開いた芸術の実践場となること、それが私たちの願いです。

建築やデザイン関係者だけではなく、あらゆる分野の、世界中の、特に若い人たちに来てほしいと思います。ここは美術館でもなければ、アート・ギャラリーでもありません。ここは、住むこと、作ること、展示すること、歌うこと、話すこと、演じることが可能なAWAZU HOUSE、ある種の街、あるいは集落です。

これからまた、この特別な空間に新たな魂を吹き込んでゆきます。

まずはいらしてください、どなたでも。一世一代の音楽家、小杉武久がイランから54年前に連れて来た陸亀のマランダとお待ちしています。

粟津潔邸について About AWAZU HOUSE

所在:神奈川県川崎市
竣工:1972年(昭和47年)
構造:鉄筋コンクリート造
設計:原広司
延床面積(現況):256.4㎡(76.92坪)、111.6㎡(1階)、133.6㎡(2階)、11.2㎡(屋上)
敷地面積:601.671㎡(180.48坪)
竣工時の用途: アトリエ、住宅

神奈川県川崎市多摩区南生田1-5-24 Google マップ
小田急線「読売ランド前」駅より徒歩約17分 /「生田」駅よりタクシーで約7分

アクセス

神奈川県川崎市多摩区南生田1-5-24

(1)小田急線「読売ランド前」駅 南口より徒歩15分
少し遠回りになりますが、赤で示したルートがわかりやすいため、おすすめいたします。
Google マップで見る

読売ランド前駅から、粟津潔邸までへのルート

(2)小田急線「生田」駅よりタクシーで約7分

今後のイベント

  • 山口幸士個展
    “風景の向こうがわ”

    ご入場には予約が必要です。ご注意ください。

    ご予約はこちら

    会期
    2025年3月13日(木) – 3月30日(日)
    木/金/土/日のみオープン 11:00 – 18:00(最終入場17:30)
    *ご入場には予約が必要です。ご注意ください。

    会場
    AWAZU HOUSE ART CENTER = 粟津潔邸
    川崎市多摩区南生田 1-5-24 [map]
    *小田急線「読売ランド前」駅より徒歩約15分 /「生田」駅よりタクシーで約7分

    入場料
    大人:1,500円/大学生:1.000円/高校生以下:無料/障害者手帳をお持ちの方:無料


    粟津潔邸で山口幸士による新作絵画のエキシビジョンを開催します。
    会場の”AWAZU HOUSE”は、戦後日本を代表するグラフィックデザイナー 粟津潔(1929-2009)の自邸兼アトリエであり、建築家の原広司氏によって設計されました。
    様々なジャンルの実験精神旺盛な表現者たちが粟津の周辺で新しい表現の可能性を模索し、対話を続けてきた場所です。
    山口幸士は、2018年にNYから帰国後、自身のホームタウンである川崎に拠点を移し、心身ともに川崎そのものを見つめ直すことでローカルを題材にした作品を多く発表。2022年には自主企画「小さな光」を川崎の工場地帯で開催。 2024年には川崎市市⺠ミュージアムとの共同企画展「River / Blue」を川風のガーデンと粟津潔邸の二ヶ所で開催し、川崎という街とさらに関わりを深めてきました。
    本展示の開催にあたり、山口はAWAZU HOUSEを設計した原広司氏の著書「集落の教え100」を読み返し、ある一節を見つけます。
    そこには山口自身が風景を描く理由の一つが原広司の言葉で書かれていました。

    “そこに住む者と、その場所を通り過ぎる者とでは、同じ風景でも意味が異なる。見え方もちがう。しかし、この差異は、同じ場所に住む者たちのあいだについてもいえることであり、昨日の私と今日の私においてすら風景が異なって見えているはずである。”

    ここに書かれているように、山口も粟津潔や原広司と同様に川崎という街で生き、風景を見つめてきました。
    そして山口は風景を描く上で、その場所の歴史や背景、そこにある言葉にできない感情のようなものを作品を通して表現しようとしています。
    原広司氏によってつくられ、「私は総べての表現の分野に、その表現の境界をとりのぞくだけではなく、階級・分野・格差・芸術に現われた上昇と下降の表現も、取り除いてしまいたいと決断する」というコンセプトのもと、主人の粟津潔氏によって育まれた空間に、新作を含む絵画二十数点を展示します。
    この稀有な機会に是非足をお運びください。


    山口 幸士 | KOJI YAMAGUCHI
    instagram : @kojiyamaguchi_orista

    神奈川県川崎市出身。街を遊び場とするスケートボードの柔軟な視点に強く影響を受け、日常の風景や身近にあるオブジェクトをモチーフにペインティング、ドローイング、コラージュなどさまざまな手法を用いて独特な視点に転換する。主な個展に2023年「Koji Yamaguchi」T&Y Project (東京)、2022年「小さな光」NDK Recycle Factory (神奈川)、2020年「静かな時間」Gallery Trax (山梨)、2018年「CITYSCAPE」Nepenthes NY(ニューヨーク)など。2023年に初作品集「Days」を美術出版社から刊行。

    細野 晃太朗 | KOTARO HOSONO
    instagram : @dada_kotaro

    1986年東京都生まれ。 2013年にアートとファッション、音楽が交わるスヘース「ANAGRA」を立ち上げ、2016年まで企画・運営を務める。2021年、アパートの一室をセルフリノベーションした完全予約制住所非公開の芸術鑑賞室「HAITSU」を立ち上げる。現在山梨県に移住し、都市ではできない鑑賞や展示のあり方の提示として2024年に北杜のアート施設ガスボンメタボリズム内にギャラリー〇〇(ほにゃらら)を、2025年には自宅の離れをセルフリノベーションしたリビング型ギャラリー「HAUSU」をオープン予定。


    ご来場に際して:

    ご予約はこちら

    • 混雑回避のため、必ずWebより事前予約をお願いします。お手数ですが、お一人さまずつご予約ください。
    • 会場に駐車場はございません。近隣のパーキングをご利用いただくか電車・バス・タクシーなど 公共交通機での来場をお願い致します。
    • 路上駐車は絶対にしないでください。また会場周辺で溜まらないようお願いいたします。
    • 会場での事故・トラブルに関して一切責任は負いませんので予めご了承下さい。
    • 展示エリア以外には立ち入らないようお願い致します。​

    ​企画 :KOJI YAMAGUCHI / KOTARO HOSONO(PingPaling) / AWAZU HOUSE ART CENTER
    協力:住宅遺産トラスト

    CONTACT/お問い合わせ
    Ping Paling LLC
    contact[at]pingpaling.com

これまでのイベント ≫

粟津 潔 KIYOSHI AWAZU

1929年東京都生まれ、2009年神奈川県川崎市にて逝去。独学で絵・デザインを学ぶ。1955年、ポスター作品《海を返せ》で日本宣伝美術会賞受賞。戦後日本のグラフィック・デザインをけん引し、さらに、デザイン、印刷技術によるイメージの複製と量産自体を表現として拡張していった。1960年、建築家らとのグループ「メタボリズム」に参加、1977年、サンパウロ・ビエンナーレに《グラフィズム三部作》を出品。1980年代以降は、象形文字やアメリカ先住民の岩絵調査を実施。イメージ、伝えること、ひいては生きとし生けるものの総体のなかで人間の存在を問い続けた。その表現活動の先見性とトータリティは、現在も大きな影響を与えている。
Instagram(@ken_soul_ken)

原 広司 HIROSHI HARA

1936年川崎生まれ。1959年東京大学工学部建築学科卒業、1964年同大学数物系大学院建築学専攻博士課程修了、工学博士。1964年東洋大学工学部建築学科助教授。1969年に東京大学生産技術研究所助教授に就任し、1982年より同教授。1997年に東京大学を退官、東京大学名誉教授。1970年から1998年まで設計活動をアトリエ・ファイ建築研究所と協同。1999年、原広司+アトリエ・ファイ建築研究所に改名。2001年ウルグアイ国立大学 Profesor Ad Honorem。

主な作品:
「田崎美術館」日本建築学会賞
「ヤマトインターナショナル」AD Award、第一回村野籐吾賞
「梅田スカイビル」日経BP技術賞大賞
「JR京都駅」2001 Brunel Award建築部門奨励賞
内子町立大瀬中学校」日本建築学会作品選奨、公共建築百選
「札幌ドーム」日本建築学会賞技術賞

主な著書:
1967年『建築に何が可能か』(学芸書林)
1973〜79年『住居集合論1〜5』(鹿島出版会
1987年『空間〈機能から様相へ〉』(岩波書店)サントリー学芸
1987年『集落への旅』(岩波新書)
1998年『集落の教え100』(彰国社)
2001年『Hiroshi Hara』(WILEY-ACADEMY)(共著)
2004年『DISCRETE CITY』(TOTO出版)
2009年『YET』(TOTO出版)
2014年『HIROSHI HARA : WALLPAPERS』(現代企画室)

私は総べての表現の分野に、その表現の境界をとりのぞくだけではなく、階級・分野・格差・芸術に現われた上昇と下降の表現も、取り除いてしまいたいと決断する。
それを、「マクリヒロゲル」! 

粟津 潔

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